科挙とは隋の時代からはじまった官僚登用の試験制度。それまでにも官吏選抜の試験はあったが、主観的で情実が入りやすく、特権貴族階級に有利に行われたので、隋になって客観的で公平な試験により、もっぱら才能によって人を採用する科挙が工夫された。非常にけっこうな仕組みであるが、常にその制度の裏をかく輩が現れたので、公正を期するため様々な改革がなされ、最後はあまりにも複雑なものと化していた。
そこで清朝は遂に科挙を廃止する事となる。日本の場合、明治維新までは官吏選抜の試験はなかったが1894年に高等文官試験制度を整備して、試験による官吏の登用が始まる事となった。中国と逆行する制度の流れであった。その前段階としての大学受験制度が作られ、これがまた受験熱を煽り、その都度公平を期するための制度の手直しが何度となくなされ、日本の「公平で客観的な」受験制度も科挙と同じように複雑なものとなっている。
しかし本当の問題は受験選抜の公平さや制度の複雑性ではないのである。問題はそれが作りだす官僚制度の硬直化なのだ。ようやく日本でも肥大した官僚機構がもたらす諸問題につき認識が広がり、改革が検討されているが、いったん「身分」として既得権化してしまったお役人と「役人仕事」の合理化はなかなか前に進まない。ニッポンは中国に100年以上遅れているのである。
2 件のコメント:
とはいえ、現代中国の官僚機構も日本と同じ資格任用制ではありませんか?
だから中国も日本同様やがてはダメになるのです。
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